Scienceコーナー Top
Copyright Maeda Yutaka

私が物理学に期待する事

 私が高校生になった頃、1970年の前半でしょうか。年がばれてしまいます? 何と無く図書室で手にした本が『不思議の国のトムキンス*最近見つけた本の情報』でした。量子力学や宇宙論など現代物理学が明らかにした世界観を、物語風に解説した本です。 後に、ジョージ・ガモフの名著だと知るのですが、それが中々面白かったもので、思わず読みふけってしまったのです。

この事がきっかけで、すっかり物理学に興味を持ち、以後、他の本を色々と読み始めました。ちょっと記憶が曖昧なのですが、その時の動機は『トムキンスは古い本だ。根源的な事とは言え、解って無い事が色々有るのは仕方が無い。これ等のことは現時点では解明されていて、全て決着がついているはずだ』と言う事にありました。

ところが、判った事は『現時点をもっても、物質は何で出来ているのかといった根源的な事に関しては解って無い。根源的な話においては、むしろ解って無い事だらけだ』という事でした。

この事は少々ショックでした。当時の科学万能の風潮の元『根源的な問題は既に解明されており、複雑なだけの応用分野が残っているだけだ。根源的なことを積み上げれば時間の問題で解決される。今取り組んでいる研究は、きっとそのような分野なんだ』という科学への思い入れが有ったからです。

物質は何で出来ているのかとか、宇宙はどのようにして出来たのか等という研究は終わっていて、すぐにでも答えてくれるものと信じていました。それは19世紀末の物理学界の『物理学の基礎は完成した。後は応用だけだ』という雰囲気と同じような心情を抱いていたのです。

『科学は成功している。宗教や哲学と違って勝利者だ。だから単純な疑問に答えられない訳が無い』と言った所でしょうか。

この事は、当時の私の人生観において、大問題だったのです。何故なら、この世の真理に至る手段として、宗教を否定し哲学も直観的に怪しげなもんだと断じていた訳です。にもかかわらず、これらが提示する宇宙観のようなものに代る答えが、無くなってしまうからです。

結局、不満と失望感が残りました。まるで、途中までしか書かれていない小説を読もうとしている気分です。『偉い科学者は何をやっているんだ。早く答えを見つけろ』・・・という訳で、その後、物理から目を背け、当時流行りのコンピュータに興味が移って行ったのです。

時が過ぎ、私も働くようになります。当然のように仕事はコンピューター関係でした。学生のころ、散々いじくり回していたおもちゃだったのですが、仕事の対象となってしまったからには『息抜きにちょっとコンピューター』という気分にはなれません。

そのような頃に、科学雑誌の記事に究極の統一理論として超弦理論の解説がしきりと目に止るようになりました。『ついに、科学者は昔の宿題に答えてくれたか!』と期待して、色々と調べて見たのですが、結論は『まだまだ先が長い。この調子じゃ、早々終わりそうには無い。宿題の回答を聞く前に私の寿命が終わってしまいそうだ』でした。

どうも、無いものねだりだったようです。しょうがないので、せめてどんな事を研究しているかだけでも、理解出来るようにしようと考えたのです。そのための道順として
 @相対性理論 A量子論 B相対論的量子力学 C統一理論・・・
を想定して勉強しよう、そこでの数式が何を語っているのかを理解出来るようになろう、と思ったのでした。

2005/10/18

 まあ、思ったまではいいのですが、現実はどうでしょうか。『相対性理論は大雑把には捉えられたかな? ただ、数式を文に書いて見ようとすると、まだまだ本当に理解していないな』などとつぶやきながら執筆。つまり@の峠を越えるか越えないかと言ったところで、うろうろしています。

 ただ、最近感じている事ですが、それは物理学と数学の不思議な関係です。 以下、エッセイ的プチ論文?でその事を考察してみます。

何時完成するのか?

今後量子論などをABC・・・と書き進んでいく中で並行更新しながら完成させます。とりあえずタイトルは今の気分でつけた宇宙知です。多分タイトルも変わってしまうでしょう。

2005/10/20
2005/10/21

                   (仮称)宇宙知論


 リーマン幾何学は相対性理論と関係なく発明された純粋数学上の業績です。ある見方をすると、こんな役にも立たない数学を一生懸命構築して、何が嬉しいのかと言いたい所です。

しかし、それが何とそのまま、一般相対性理論を記述する基礎数学に納まって、曲がった時空を物理的実体として扱う、革命的な重力理論が生まれたのです。

 もう一例として、リーマン幾何学と相対性理論の関係と同様、 解析力学における変分法と量子力学の関係が有ります。

ニュートン力学は確かに力学的宇宙を直接的かつ、正確にパターン化しました。そのパターンが力学の基礎方程式と言えます。

その後、オイラー、ラグランジュ、ハミルトンなどの数学者や物理学者が変分法を応用してニュートン力学をさらに抽象化し解析力学を完成させたのです。

しかし当時の状況では、ニュートン力学の基礎方程式が必要十分な力学的宇宙のパターン化であったため、完成した解析力学はあまり出番が無かったようです。

その後、量子力学が発見されました。それはニュートン力学と革新的に異なり、全ての物理量は離散的であり、確率密度関数が、物理法則を記述する手段となります。なんと、このようなニュートン力学と全く異なる量子力学が発展する中で、高度に抽象化された解析力学の記述が、ほとんどそのまま量子力学での記述に利用できたのです。

これ等は、単なる偶然の一致なのでしょうか?

 数学は人間の頭脳が創り出したものです。 ここで『創り出した』と書きましたが本当に創り出したのでしょうか。私は最初からそこに在ったのではないのか?という感覚に陥るのです。

以下、考察を進めるにあたって、私の想定する脳の知的機能原理を示します。

そもそも、脳の動作原理は基本的にはニューラル・ネットに近いと思われます。そしてその機能はパターン認識です。パターン認識とは、外界からの入力信号から、意味のある量とか指標を抽出し、複数の指標で構成される空間に認識対象を分類していくことから始まります。

例えば、果物の認識を例に取りましょう。その場合の指標は色と、丸さ度。さらには大きさ等でしょう。赤くて、丸いはリンゴという分類です。黄色くて、丸さが低いモノははレモンでしょうか。

               

同じ赤くて丸いモノでも、小さければさくらんぼですね。

 このように私達は、知らず知らずの内に、沢山の指標を駆使して、”モノ”を分類したデータベースを作り上げています。そのアクセス方法方はアナログ的で、指標を軸とした多次元ベクトル空間の参照ベクトルの形成が知識である。これに対し、入力信号ベクトルとの内積が、最も大きいモノをパターン認識の結果として出力していると考えられます。

認識データベースはネットワーク内の入力部近辺に重み付け"W"の形で蓄積記憶されており、ネットワークは内積機の集合と考えられます。


             

            ニューラルネットの代表例『パーセプトロン』
             

このようにネットワークと重み付のように、非常に単純な動作原理が大規模に組合わさったものが”知”で有ると考えられます。

               

その結果、その脳の持ち主が置かれた外部環境の信号を入力し、価値基準に沿った判断信号を出力します。

例えば、『これはリンゴだ。リンゴは美味しいから食べよう。こっちのはさくらんぼだ。あまり好きじゃないから、食べるのはよそう』であったり、『これは雨だ。雨に濡れると寒くなる。木の下でじっとしていよう』と言うようなことです。これも脳の知的機能:パターン認識のおかげです。

勿論、パーセプトロンで全て説明できる訳では無い事も承知しております。例えば推論を司るモデルとして、アソシアトロン等に代表される連想記憶機能のようなものも組み合わさっている必要が有るでしょう。

ただ、本質的には『人間の脳は周りの環境に対するパターン認識しかできない。つまり脳とは自然に潜むパターン検出機。このパターン検出機が検出した数学とは、所詮、自然の持つパターンでしかない』と言うのが私の結論です。

自然とは広域的には宇宙、還元的には物理のことです。つまり、宇宙なり物理をパターン化したものが数学なのではないでしょうか。

そうなると過去から延々と続いてきた数学の業績、そう、あの見るもおぞましい数式の山々は、歴代の超高性能な検出器が検出した宇宙のパターンであると言う事になります。

 以上が私の考える脳の知的動作原理です。これを仮定として、さらに考察を進めて見ましょう。

(続く)
Scienceコーナー Top